2021-06-09 第204回国会 参議院 本会議 第29号
今の官邸は、言わば、牟田口中将の必勝の信念に対し、補佐すべき幕僚はもはや何を言っても無理だというムードに包まれてしまったという、あのインパール作戦の状況とうり二つという声もあります。 事実、おとといの決算委員会で、水岡会長がオリンピックを中止する選択肢はあるかと再三再四質問したにもかかわらず、総理は訳の分からない主張を繰り返すばかりでした。
今の官邸は、言わば、牟田口中将の必勝の信念に対し、補佐すべき幕僚はもはや何を言っても無理だというムードに包まれてしまったという、あのインパール作戦の状況とうり二つという声もあります。 事実、おとといの決算委員会で、水岡会長がオリンピックを中止する選択肢はあるかと再三再四質問したにもかかわらず、総理は訳の分からない主張を繰り返すばかりでした。
独立行政法人地域医療機能推進機構理事長尾身茂君の出席を求め、意見を聴取し、また、政府参考人として内閣官房内閣審議官時澤忠君、内閣審議官内山博之君、内閣審議官植松浩二君、内閣審議官梶尾雅宏君、内閣府大臣官房審議官海老原諭君、規制改革推進室次長彦谷直克君、地方創生推進室次長長谷川周夫君、公正取引委員会事務総局経済取引局取引部長田辺治君、総務省大臣官房政策立案総括審議官阪本克彦君、情報公開・個人情報保護審査会事務局長吉牟田剛君
○吉牟田政府参考人 お答えいたします。 情報公開・個人情報保護審査会の過去答申におきまして、いろいろ個別の状況があり、結論もいろいろございますけれども、行政庁の処分において不開示とされた審議会、懇談会などの外部有識者の略歴について、情報公開法第五条第一号ただし書イ、これはいわゆる公表慣行と言われておりますけれども、これに基づき開示すべきと判断された例もございます。
○吉牟田政府参考人 法律に基づきまして、情報公開法第五条第一号ただし書イの公表慣行に相当すると判断された場合はそのようにするというふうになっております。
この大牟田の牟田というのは湿地のことをいいまして、地名というのは大宝律令の時代に漢字二文字というふうに大体決めたんですけれども、大牟田ですから、その当時から大牟田というのがありますので、大宝律令の前の時代からの湿地帯、低い地帯でありますので、ちょうどそこが冠水してしまったということでございます。
これ、現地の公明党の議員が大牟田市長とともに赤羽大臣にも申入れもしたわけであります。 こういう排水設備というもの、この三川ポンプ場というのは整備途上であったわけでありますけど、そのために大牟田市が計画していた水準にもこれは達していなかったわけであります。今回、復旧ということでありますけど、早期の災害復旧と併せて機能強化というのをこれ望みたいというふうに思います。
これを受け、施設の耐水化、ポンプの増強などの機能強化のための具体的な施設計画の策定については日本下水道事業団が大牟田市を全面的に支援しており、今後、事業を実施する際には国土交通省としても財政的支援に努めてまいります。
大変申しわけありませんが手で直していますが、十一月十五日に私は行きまして、下の方が行ったときの写真でありまして、牟田辺遊水地というんですが、田んぼです、ちょっと見にくいんですけれども、水門が立っております。それが、八月の豪雨のときには、水門の頭だけが見える、明かりがちらっと見えておりますが、水がたまっておりまして、遊水地の機能を果たしたということを伺ってまいりました。
この中で、牟田辺遊水地が今回の洪水に対して貯留した機能を発揮したということでありましたけれども、内水が随分出て、約三千戸に上る大規模な浸水被害が発生してしまったわけでございます。
○政府参考人(吉牟田剛君) お答えいたします。 公害等調整委員会では、全国の公害紛争処理についての情報を取りまとめるため、都道府県公害審査会が調停事件の申請を受け付けた際と終結した際に概要の報告を受け付けております。 先生御指摘の事案につきましては、兵庫県公害審査会から、平成三十年十二月二十五日に申請を受け付けた旨、報告を受けております。
○政府参考人(吉牟田剛君) 先生がおっしゃるとおり、話合いをしてほしいと思う気持ちはありますけれども、調停制度そのものは法律上非公開になっていることとか、また、公害紛争処理法上、都道府県公害審査会は職務の性質上独立して調停手続を行うこととなっておりますので、その進め方等に関して、当委員会として個別事件について見解をお示しする立場にないことを御理解いただければと存じます。
○政府参考人(吉牟田剛君) 特に把握しておりません。
このため、堤防ですとか、あるいは十六カ所の排水機場、また牟田辺遊水地などの整備を進めてきたところでございますけれども、地域の安全、安心を確保するためには、さらなる河川整備が必要でございます。
今の先生から御指摘ございましたアゲマキでございますが、有明海漁業振興技術開発事業によりましてアゲマキの放流を行ってきておるところでございまして、平成二十一年度から実施しているわけでございますが、昨年は佐賀県の太良町牟田地先で三十六・六万個体、鹿島市浜地先で五十五・六万個体の種苗放流を行ったところでございます。
一つは、名著とも言われる「失敗の本質」でも取り上げられたインパール作戦、これをひとり強行し、三万人を超える将兵を餓死させたにもかかわらず、責任を回避し続けた牟田口廉也陸軍中将です。もう一つは、真珠湾攻撃の際、在米日本大使館の怠慢で宣戦布告が一時間おくれたことにより、日本人に、だまし討ちをした卑劣な民族との烙印が押されました。
これは史上最悪の作戦と言われているわけですが、当時の第一五軍司令官の牟田口廉也という人は、大本営に執拗に、インドに向かって進軍しようということで、三個師団、その師団長はみんな反対したんです、参謀も反対したんです。
どういう計算で一%は決めたかというと、その下に書きましたように、これは税務大学校の吉牟田先生の有名な本なんですけれども、そこに書いてあるんですけれども、所得税率と地方税率を加えて、それに延滞税を掛けたものを比例案分したという考え方なんですね。 なぜかというと、年金の権利を得ると、そのときは課税されないわけです。それで、運用益も課税されない。課税されるのは将来の退職のときなんですね。
なぜ大牟田に行ったか。気仙沼のある水産加工工場が大牟田に新たな工場をつくり、気仙沼の人七十九人、家族四十人、この人が大牟田にこれから移住するんです。雇用促進住宅に住んで働くんです。そしてまた、きのうも地元紙に出ておりましたが、大手の地元の水産会社が今度は岩手県に行く。なぜかというと、宮城県ではさっぱり支援がない、あるいは工場を直すにもさっぱり対応ができない、だから、私たちはもうここを離れるんだと。
それから、二点目が、今度は今工事中でございますけれども、有明沿岸道路、これが大牟田市から佐賀の鹿島までつながる予定であるということでございます。 それで、国土交通省に聞きましたところ、既に使ったお金が一千三百六十億ということで、では事業予定はどのぐらいなのと。福岡県側だけで二千三、四百億円ということになるんでしょうか。だから、これは佐賀の方まですればすごい金額になるのかな。
これを改めれなかったら、本当に制度全体が玉砕するしかなくなっていって、いや、よく友達と話すときに、インパール作戦って知ってるかという話をするんですけど、大本営発表のとおりに牟田口中将が行けと、三個師団に命令出して十万人近くの日本兵がほぼ玉砕に近い状態になるんですけど、現場ではもうこれは無理だという声が何回も何回も上がっているけど、結局大本営には伝わらなかったと。
そのときの裁判長は中牟田さん、中牟田裁判官です。そのときに彼は否認しているんですよ、裁判官に対して。その前の弁解録取書を取るときの富山地方検察庁の高岡支部、そこの松井副検事にも要するに否認しているんですよ。裁判官は直接その柳原さんに聞いたときに、彼ははっきりと否認しているんです。私はやっていないと言っているんです。
先ほどの文部科学省のホームページにおきましても、チャイルドラインのホームページへのリンクができるように御紹介をさせていただくということを取り組んでおりますし、現在いじめ対策として子どもを守り育てるための体制づくりのための有識者会議を文部科学省で設けておりますが、その中にこのチャイルドラインの代表の理事長の牟田悌三さんにもお入りいただいて、専門的な立場からアドバイスをいただいているところで、できるだけ
先日、主宰をしておられる牟田さんを始め議連の先生方お訪ねをいただきまして、現在の状況についてもお伺いいたしました。その際に、NPO法人として当該法人に寄附がありました場合に、これを免税とする認定法人にするための資格等が条件が整い次第、私としても全面的にお手伝いすることをお約束しております。
その中には、精神科医の香山リカさんとか、俳優の牟田悌三さんとかいう方もいらっしゃるというふうにお聞きをしたところであります。 そういった方々がどんなことをおっしゃっているか、私調べてみますと、香山リカ先生は、自殺の連鎖が起きないよう過度に詳細な報道を控えるガイドラインを作るべきではないかというようなお話をされているように聞きました。
これについて、この前、馳先生が牟田さんなどと御一緒にお見えになったりしましたので、要件を早く整えていただいて、寄附その他の免除の手続等ができれば本数もふえますから、私もぜひお手伝いしたいなと思っております。 それから、いじめをしている子供といじめられている子供と、本来子供を見守らねばならない、これはやはり一番が御家庭だと思いますね。
○保坂(展)委員 この問題について文科大臣にお尋ねしますが、私は、ちょうどトニー・ブレアが政権をとった日に、チャイルドラインというのを見に行くために牟田悌三さんなどと一緒に滞在していたんです。あちらの選挙運動というのは日本と大分違う。そして、確かに、教育、教育と、教育しか言わないで政権を交代していった。サッチャー教育改革に対する一定の修正要求というものが有権者の中にあったのかなと思います。